2014/01/12




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何を撮りたいのか、が明確にないような場合、
「つもり」としては
気が向いた時にシャッターを切り、
気が向かなければシャッターは切らない、である。
しかしながら家でその日の写真を見なおしていると
何に気が向いたのか、すぐに想い起せないものもある。

シャッター切った者が何故シャッターを切ったのかを
想い起せないというのもおかしな話だが、
気が向く向かないなどに関係なく、
シャッターを切ること自体に悦びを感じているような
シャッター・ハイというものもある。


それらをも含めカメラの中に残っている写真には
個人的な基準による「失敗写真」は多いが、
「失敗写真」であるからこそ大いにレタッチを練習できる。
「こんな絵」が欲しかったのに、という想いがあればそのように、
「こんな絵」がなければ新たな物語的展開を描けるように試みる。
私にとってそれはデジタル写真の良きところだ。
個人的な「成功写真」は修正こそあれ、レタッチの必要を欲しないからだ。









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