2014/02/04

true heart




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このババジィとはずいぶん前から知り合いである。
プシュカル以外の聖地で会ったことはないが、
あの時はプシュカルの◯◯◯で△△△の修行をしていたけど、
その後は◯◯◯で△△△の修行して、どうしてまた◯◯◯に居るの?
というような話をしたりする。
初めて会った時から何となく馬が合う人だった。
カメラを見ると写真を撮れとババジィは言い、撮り終わると
何か変わったか?と尋ねてくる。
以前の写真と見比べるわけではないから老け具合も感じずに
大して変わっていないよ、と答えるとババジィは微笑む。
互いに歳をとるわけだから見た目も変わるのだろうが
それよりももっと変わってきたのは再会の分だけ深くなる思い入れだ。

「写真」は時に「写心」と比喩されるが
写るものは「形・容」や「色・彩」を含む広義における「真」であり、
見る者が抱く「印象」や「雰囲気」を含む狭義における「心」であるかもしれない。
そして本来はすべての被写体に対する個人的な思い入れ「真心」が写っている、と
仮定してもいいのかもしれない。

字面的に「真心」と書いたが個人的にはそれほど大げさなものではないにしろ、
どのような被写体に対しても思い入れは必ずあるものだ。









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