2011/07/26

Sufi Pilgrimage















今年もファキール達が
もう、歩き始めた頃だろうか。

パキスタンのスーフィーにおける偉大なる聖者、
聖者Lal Shahbaz Qalandarのウルスの後、
神に命を預けた者達が、
Lal Baghから聖者の軌跡を追いかけて
シンド州からバローチスターン州をまたぎ、
Shah Bilawal Noorani聖者廟へ続く
砂漠の巡礼へと歩き始める。

砂漠の中には聖者の奇跡によって出現したとされるOasisがある。
巡礼者はそのOasisを経由して歩き続ける。
Oasisと言っても小さな水の溜まりがある程度だが、
何もない砂漠の中で一滴の水がどれほど重要であるかは
誰もが想像できるだろう。
しかしながら、そのOasisの水の溜まりは
その年の降雨量に左右されるが故に
次のOasisで水を手に入れられるかどうか定かではない。

水が涸れていればまた次のOasisまでその日のうちに
歩かなくてはならず、
水が豊富でも蚊が大量発生すれば
マラリア感染の危険が伴う。

ペットボトルに汲みためたわずかな水を携え
広大な砂漠の海を、傾斜度の高い幾つもの岩山を越え
歩き続ける途中で多くの巡礼者が脱水症、熱中症で亡くなり、
また岩山からの滑落で命を落とす。
Oasisでマラリアに感染した巡礼者が
Shah Bilawal Noorani聖者廟での祭り滞在中に処置できず
亡くなる場合もある。
そこかしこに生死の境が転がっている。


しかし命さえをも預けた巡礼者にとって
命を落とすことは死そのものでありながらも
別の意味を含んでいる。

生きることは
疲れや痛みのすべてを刻み
神への想いを高めながら
空と交信することであり、

死することは
重い肉体を脱して
魂となり
神と合一すること、
そして空に還ることなのだ。


写真は2008年の巡礼。
岩山を二つ三つ越え、既にバローチスターン州のはずだ。
ここから更に10日ほど歩き続けて
私は何とかShah Bilawal Noorani聖者廟へ辿り着いた。

命を預けてしまうと
それまであったはずの感覚としての「時間」がなくなる。
すべては変化の様子でしかない。

そして預けていた命が
Shah Bilawal Noorani聖者廟にて一時的に手元に戻ると
再び「時間」は私の中に出現した。




今年も友人がShah Bilawal Noorani聖者廟への
巡礼に出向いている。
「時間のない場所」=「地球C」での
厳しい変化の様子に塗れながら今頃
歩き続けているだろう。













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