2011/08/08

Baba-ji Mast Qalandar















パキスタン・スーフィーにおいて
私は弟子として大まかに二つの関わりを持っている。
一つは楽士の弟子としての関わり方であり、
もう一つはマランゴ・ファキールの弟子としての関わり方だ。

聖者廟は聖者の墓であり
聖者廟の名前は聖者そのものの名前だ。
私にとっていかなる聖者廟も学びの場であり、
そこに祀られた聖者は教師に違いない。

楽士の弟子として、
或はファキールの弟子として
様々な聖者廟で教えを乞う時間を過ごす
私とrabiyaではあるが、
命を預けてしまうことのできる師匠というのは
この人以外にいない。

この写真の師匠とその弟子仲間から
教えられたことはあまりにも大きい。
どんなことを教えられたかなどということは
仲間以外に話す必要はない。

弟子仲間以外に話せる人などいやしないのだ。


このBaba-jiは
常にパキスタン全土に星の数ほど散らばっている
たくさんの聖者廟を行き来している。
会うためには
その時期、どの聖者廟でUrsがあるかを知っていなければ、
或は聞きつけることができなければならない。
更に言えば、聞き出す相手がファキールでなければならない。
何故なら、地元の人間さえも知らない聖者廟もたくさんあるからだ。


それが如何に難しいかさえ、知る人は少ないだろう。

皆の知らないところで
目玉が飛び出すような儀式が行われているのに・・
その儀式のそこかしこに強烈なメッセージとして残される
祈りや音楽や踊りや教えがあるというのに・・。



この闇に紛れる偉大なスーフィーの居所を
独自にたった一人で
追いかけられる日本人は
私と妻の他に
3人くらいしかいないだろう。












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