2012/02/05

路の途中で #11













パキスタン・スーフィーにおける偉大なる聖者、
聖者Lal Shahbaz Qalandarのウルスの後、
神に命を預けた者達が、
Lal Baghから聖者の軌跡を追いかけて
シンド州からバローチスターン州をまたぎ、
Shah Bilawal Noorani聖者廟へ続く
砂漠の巡礼へと歩き始める。


2008年の巡礼で私は一人の偉大なるDhol(両面バチ打ち大太鼓)奏者と出逢った。
その男はグジュランワラ産の大きなDholの他には
小さな布包みと数本のペットボトルと傘だけを携え
砂漠の荒野を歩いていた。

グジュランワラ産のDholは聖者廟でよく見かけるDholよりも
一回り大きくて重い。
さらにそのDholは両面皮張りだった。
私がラホールでDhol奏者に弟子入りした9年前は
ほとんどのDholは両面皮張りだったが、
数年経つ間に両面皮張りのDholは少なくなり、
皮の代わりにプラスティックの張られたDholが多くなった。
皮よりも安く、また季節に関わらずメンテナンスも楽だったのだ。
消耗の激しい演奏をするうえで季節に応じて皮の状態を保ち、
サウンドコンディションをもコントロールすることは
簡単ではないのだ。
しかしながら両面プラスティック張りのDholの音は軽く
重量感と深みに欠けるということもあり、
やがて見かけるDholの多くは高音面にプラスティック、
低音面に皮を張ったものに変わって行った。

男は乾燥した砂漠地帯でオアシスで汲んだ水を
自分が飲むよりも皮のメンテナンスのために使い、
照りつける太陽からDholを守るために傘をさしながら
巡礼の路で毎日、朝昼晩とDholを演奏して歩いていた。

それだけではない。
大きなオアシスに辿り着くとそれまで一緒に
砂漠の荒野を移動してきた羊の一頭を潰して食する
他の巡礼者から羊の皮をもらい、その後の移動の最中に
毛を抜き、少しずつ薄く削ぎ落とし、叩き、鞣しながら
太鼓用の皮に加工することもしていたのだ。

何回か簡単な手伝いをさせてもらったが、
重要な工程はなかなか見せてもらえなかった。
そう簡単に誰にでも教えてくれるわけではない。
それぞれが守り大切に受け継がれた流儀があるからだ。

自分の喉が渇いているのに水を飲まず、
皮に水を飲ませてしまったその男に
私は自分の水を差し出した。
次のオアシスまではまだかなり遠い山の上でのことだ。
他の巡礼者は前方に斜面を下る数人と
後方に斜面を登る数人が小さい粒のように見えるだけだった。

飲めよ、と差し出したボトルの水を
喉を鳴らして二口飲んでから息をつき、
男は礼を言いながら微笑んだ。
想えばその男の笑顔を初めて見たことに気づく。
男が残してくれた最後の一口の水を飲みながら
私も笑った。

まだ次まで遠いのに飲み干しちまったなぁ、
そんな想いが笑いとなったのだ。

それが何を意味するのか?

水はもうない。
まわりには他の巡礼者もいない。
このままのペースが続けば
もし一人で何かで倒れたらどうなるのか?
全力で乗り切るしかない、もう命を運を預けるしかない。

男が先に行けと促す。
重いグジュランワラのDholを担いで傘をさしながら
お前のペースと同じようには歩けない、と言う。
私は一人、歩き始めた。
太鼓の音が響き始める。ダンマール・ビートだ。
私を送り出すためだけに男が演奏してくれている。
私はダンマール・ステップを踏み、
山の上で空を見上げたまま旋回した。

勇気が湧いてきた。

私が次のオアシスに辿り着いてから約2時間後くらいに
男が太鼓を叩きながらオアシスに到着した。
その晩、焚き火の大きな火柱の傍らで
男は自分のDholを私が演奏することを許してくれた。
私にとって掛け替えのないひと時だった。 


Jhoole Lal
Qalandar Mast!












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