2012/09/01

路の途中で #21













彼らはコーランから逸脱しているように見えるが
実はそうではない。
コーランに従った上で、各々がさらにコーランから学び
各々が感じ取ることでしか解釈できない部分において
神のために己を預け、預けたことを証すために
街の中でも砂漠の砂の上でもその意志を実践している。

彼らは求道者だ。
そしてスーフィーだ。

彼らはその意志を遠くに届けようと、
その鈴の音で、その熱情で、その舞いで
その強烈なストイックさで
自身の存在を試し続けながら
学ぼうとすることの独自な意義を示している。


彼らの一派でなくてもあの音を聞けば
影が真下に在る時刻でさえも方角を知り、
自分の場所を確認できる、
だから彼らは全身に鈴を巻いている。
すべてと共に在ることを示すために
彼らは全身に幾つもの重い鈴を巻いている。

存在のすべてに対する汚れなき恋心。
あまりにも純粋な修行者達なのだ。









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