2013/01/05

[ヨイトマケの唄] -美輪明宏
















YouTubeより美輪明宏が作詞・作曲し1966年に大ヒットした
[ヨイトマケの唄]。

美輪明宏。その人は「芸術家」であり
「神秘の使い」であると、私は想うのである。


2012年第63回NHK紅白歌合戦では77歳での初出場が
史上最年長であることで話題となったが、
紅白歌合戦の実際のステージでは存在感漲る圧巻のパフォーマンスで
多くの人々から絶賛され、より大きな話題となった。

「ヨイトマケ」とは建設機械が普及していない頃、
地固めをするために数人掛かりで、重い槌(つち)を滑車で引き上げ打ち込む際の
掛け声でもあり、そのように地盤を突いて地固めをする労働自体や
その労働をする人を指している。
また「ヨイトマケ」は稼ぎの少ない夫を持った妻、夫に先立たれた妻が
従事していたことが多く、当時では重労働に従事する女性という意味で
使われたことも多かったという。



[ヨイトマケの唄] /作詞・作曲:美輪明宏


父ちゃんのためなら エンヤコラ

母ちゃんのためなら エンヤコラ
も一つおまけに エンヤコラ

今も聞こえる ヨイトマケの唄

今も聞こえる あの子守唄

工事現場の ひる休み

たばこふかして 目を閉じりゃ

聞こえてくるよ あの唄が

働く土方の あの唄が

貧しい土方の あの唄が

子供の頃に小学校で

ヨイトマケの子供 きたない子供と

いじめぬかれて はやされて

くやし涙に くれながら

泣いて帰った 道すがら

母ちゃんの働く とこを見た

母ちゃんの働く とこを見た

姉さんかむりで 泥にまみれて

日に灼けながら 汗を流して

男にまじって 綱を引き

天に向かって 声あげて

力の限り 唄ってた

母ちゃんの働く とこを見た

母ちゃんの働く とこを見た

慰めてもらおう 抱いてもらおうと

息をはずませ 帰ってはきたが

母ちゃんの姿 見たときに

泣いた涙も 忘れはて

帰っていったよ 学校へ

勉強するよと 云いながら

勉強するよと 云いながら

あれから何年 たった事だろ

高校も出たし 大学も出た

今じゃ機械の 世の中で

おまけに僕は エンジニア

苦労 苦労で 死んでった

母ちゃん見てくれ この姿

母ちゃん見てくれ この姿

何度か僕も ぐれかけたけど

やくざな道は ふまずにすんだ

どんなきれいな 唄よりも

どんなきれいな 声よりも

僕をはげまし 慰めた

母ちゃんの唄こそ 世界一

母ちゃんの唄こそ 世界一 

今も聞こえる ヨイトマケの唄

今も聞こえる あの子守唄


父ちゃんの為なら エンヤコラ

子供の為なら エンヤコラ




シングルリリースは1965年。
しかし発表間もなく歌詞中の「土方」や「ヨイトマケ」が
肉体労働者に対する差別的な内容と見なされ、
民放連から放送禁止曲に指定される。
1980年代に制度は廃止になったものの、放送局側の自粛や
また歌詞そのもののストーリーを大切にしていた美輪明宏が
番組における歌の短縮化を認めなかったこともあり、
本人による「ヨイトマケの唄」を画面で見ることは少なかった。

勿論、2012年第63回NHK紅白歌合戦ではノーカット、
約6分の「ヨイトマケの唄」が披露された。
既にYouTubeにアップロードされた紅白歌合戦の「ヨイトマケの唄」は
二度にわたりNHKによる著作侵害申し立てにより削除されている。
今回の動画も削除されるのは時間の問題かもしれないが、
その際は違う動画、もしくはmp3を載せるつもりでいる。


「ヨイトマケの唄」は時代と時代に生きた人を映し出す素晴らしい名曲だ。
そして2012年第63回NHK紅白歌合戦における美輪明宏のステージは
繊細さと豪快さに満ちた素晴らしい「芸術」であり、「伝説」であると
私は想うのである。














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