2013/03/11

あれから2年




地震、津波、原発事故及び風評被害において亡くなられた
すべての方々へあらためてご冥福をお祈り致します。
実際の死の恐怖とご遺族が抱き続ける痛みとは比べものにはなりませんが、
あの日を境にTV・携帯端末から流れる地震警報に
私は未だに個人的な「恐怖の欠片」を想い起こします。





東日本大震災から2年が経ちました。
お叱りの言葉を頂くことになるかもしれませんが、
あえて素直に書きたいと想います。

この2年間に震災とは関係なく個人的に友人・知人が数人亡くなりました。
今日、私は震災を想い起こし、また震災とは別に亡くなった「命」について
想いを馳せています。世界を見渡せば内戦、テロ、狂人達の無差別殺人、
いじめ、ルール違反による事故など様々な原因において数えきれない
多くの「命」が失われました。
日本において言えば、天災であれ人災であれ、
2年前のあの日を因果とした死はそのほとんどが今や抗うこともままならず、
それが一気に多数でしかも複雑であったことから、多くの人々の関心の中で
その痛みへの受け入れと共有があったと想います。
しかしながら、震災以外で失われた様々な「命」は
多くの人に受け入れられることなく、共有されることもなく、
その死を知らぬ人々と遺族や関係者がその痛みを「絆」として
何ら分ち合うこともできずに苦しんでいるのも事実です。
原因がどんな些細なことであろうと、「命」が失われるということについて、
或は「命」そのものの根本的な大切さについて、多くの人が思い浮かべることで、
これから変わって行く事象があるのではないでしょうか。
人の心が変わらなければ、きっと世の中という箱も
これまでと変わらないのではないでしょうか。


再びですが、東日本大震災から2年が経ちました。
「恐怖の欠片」を想い起こす中、それぞれがあの日からの「絆」と共に、
それとは別に世界中で失われた「命」、その根本的な大切さについて
もっともっと想い馳せるべきなのではないでしょうか。

「痛み」そのものを感じられない他人が「痛み」を想う前に、
まずは「命」について想うことで、全世界が変わることを願う、
そんな時ではないでしょうか。

Imagine !・・・









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