2011/09/06

夏の地球 #5















夜の街を徘徊し写真を撮っていただけなのに、妙に勘に触れるBarがあって
店に入り込むと女の客が一人いて、その初対面の女に尋ねられた言葉によって
私は夏の地球に覚醒した。夏の地球は眩しかった。
時間のある場所から時間のない場所に瞬間的に移動すると一気に瞳孔が開く。
しかしながら時間のない場所に慣れ、しかも自分の傷を探そうと瞳孔を狭めると
夏の地球は朧げな薄暗さを露呈する。

私は薄い霧の中を彷徨うように記憶の朧げな風景を歩きはじめていた。
記憶の風景は脱色加工を施した画像のように色が少なかった。
蓋を閉めたまま埋もれてしまった想い出をほじくり返すために、
まずその蓋を探すように心の深層へ潜り込もうとすることはとても面倒だった。
蓋を閉めた理由、その理由に由来する感覚と向き合わなければならなかったからだ。

蓋を閉めた理由。紛れもなくそれは「畏れ」と「恥」の感覚だった。
自分が壊れてしまうような、巨大な不安に満ちた感覚を
自分の中に携えてしまった事実を拒否しなければ自分でいられなかった、
だから蓋を閉めてしまったのだ。
「恥」の臭いを私は探し始めた。
「恥」は目で見ることの他に鼻で嗅ぐこともできる。「恥」の臭いはその時の空気の臭いだ。
まるで雨が降り始めた時に臭うアスファルトの埃の臭いのように香り立つ。

自分自身で閉めてしまった蓋を開けるためには、時間を味方にする必要があることを
私はこれまでの経験に学んだ。時間を味方にすることはただ時間を過ごして
熱りが冷めるのを待つことではない。時間を噛み砕くことのできる牙が必要だ。

私は生きながらたくさんの想い出に蓋を閉めてきたが、ある時期から過去へ戻りながら
その牙で一つずつ閉めた蓋を抉じ開けてもきた。自分がいつの間にか生きながらに
死んでしまわぬように。蓋を閉めた自分の心はまるで死にかけた臓器のようだ。
死にかけた臓器は心を誤摩化すための役割を担う。生きながらに死んでるヒトは
心が更に壊れてしまわないために深い奥底に死にかけた器官を大切に携えている。
本来ヒトはどんな生き方をしてもいい。ただいつの間にか生きながらに死ぬよりも、
生きるために死んでしまおうとする自分を私は願っただけだ。

色薄い記憶の中で以前に抉じ開け粉砕した蓋の欠片が散らばっているのを発見した。
欠片に触れてみる。脳味噌に古い映像が映し出される。スローに繰り返される幻影から
物語を読み取ると私は目を瞑った。瞼を開ける。Barの中は夏の地球よりも薄暗かった。

いつの間にかグラスの中身は空になっていた。私はバーテンを目で追った。
すぐにバーテンは気づいた。グラスを持ち上げる動作をすると慌てて氷を砕き始める。
新しいグラスを置いてくれた時、バーテンの手は小刻みに震えていた。
思わずバーテンの顔を見上げるとバーテンは発作のように一瞬、身体を波立たせた。

女の視線。目が合ったその目はさっきよりも濃く「恥」を貼りつけている。
多分、私も同じ目をしてるだろう、そう想った瞬間、私は思わず微笑んだ。
女も微笑んでいた。
それを見ていたバーテンが「うぁ」と声を洩らし持っていたグラスを床に落とした。
「パリン」と割れる音がしてそれが合図だったかの様に爆発的に込上げてくるものを
押さえきれずに私と女は見つめ合いながら同時に大声で笑い始めた。
私と女の突発的なその笑い声がバーテンに突き刺さる。

現実を支えていたエネルギーがすべて恐怖に転化してしまった。
歯をガクガク鳴らせたバーテンは震えを止めるのに両手で口を押さえていた。










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