2013/05/02

プロセスの違い




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「パキスタン・日本フレンドシップ・バザール」では
インドでDhol(両面バチ打ち大太鼓)を購入したという二人と顔を合わせた。
二人は「ジャパニ・バイ・ドール・ワーラー」を名乗り、
インドDholの演奏法でバングラビートを演奏していた。
 一人は以前から私のことを知っていたようだが、 そのことを伝えてくれぬまま、
いつの間にかFBで友達になっていた。もともとはタブラを演奏するらしい。
インドに8年近く住んだ経験もあり、インドでDholを学んだという。
もう一人の若者の方はインドでDholを学んだのではなく、
相方から教えてもらったと話してくれた。

パキスタンのDholとはまったく違ったが、
私も妻もパキスタンでDhol奏者に弟子入りしていることもあり、
やはりその音色懐かしく、舞台から遠い場所で呼び込み役のように
Dholを演奏している彼らと少し時間を共にした。
「パキスタン・日本フレンドシップ・バザール」開催初日の夕方は寒くて、
4人でチャイを啜り、舞台横に駐車していた関係者の車両の隙間で
寒さに身を屈めながら、それぞれのこれまでについて話したりした。

Dholの演奏を見せてくれ、というようなことを何度か気軽に言われたが
私たちは何の迷いも説明もなく断った。断ったのは師匠や兄弟子達から
人前で何となくDholを演奏することなどを禁じられているからだ。
演奏するなら、聖者廟で演奏できるくらいの演奏ができなければ駄目なのだ。

弟子入りの儀式で師匠に嘘をつかない、師匠の言葉は絶対的に守り重んじる、ことを
宣言して私たちは名前をもらった。それがgramali(本来はGhulam Ali)、Rabiyaだ。

2003年に弟子入りし、家族親戚の集まる中、弟子入りの儀式は執り行われた。
一番始めに師匠が教えてくれたのは、ブーティの作り方と作法だった。
そして聖者廟での立ち振る舞い、聖者廟にある音楽のすべてに敬意をこめること、
家族への服従、兄弟子達への気配りなど。

師匠の素晴らしいところは日本人だからといって私達を特別に扱わなかったことだ。
パキスタン人の弟子と同じように扱ってくれた。
買い物へ行かされ、子守りをし、荷物運びをし、シルバーの指輪を没収され、
師匠の身体をマッサージするようになった頃、ようやく少しずつボウルを
教えてもらえるようになった。

師匠宅はスラムエリアにあり、新市街から毎日師匠宅へ通う路の風景の移り変わりは
とても印象的だった。行く前には必ず量り売りの牛乳を買う。
どうせ後で弟子の誰かが必ず買いに行かされるからだ。師匠からでなく兄弟子からも
よくボウルを教えてもらったり、弟子達だけでボウルを組み合わせティハイを練習した。
ボウルを頭に叩き込んで、きちんとティハイを聞き分け、テンポを合わせ維持し、
ボウルにさえ強弱をつける。それが完璧にできなければ師匠はDholの打ち方など
教えてくれない。しかし師匠の演奏を間近で見れるということそのものが
演奏法を学ぶことでもあった。学ぶということは見て盗むことでもあった。
師匠が聖者廟で演奏する時、弟子達はかじりついて師匠の動きを見つめていた。
私だけが他のファキールと共に師匠の音でDhamaalしていた。
ビートを身体で感じながら師匠の演奏にある壮大なビートの物語をひたすら
心に刻みたかった、音とその世界にある祈りに溶けて一つになりたかった。
演奏にかじりつき盗むのはrabiyaだけでもいい。
普段から使いに行かず師匠のそばで特別にボウルの特訓を受けることができたのは、
他の弟子仲間の中で女としてのただ一人の弟子、rabiyaだったからだ。

数年に渡り、ボウルとテンポの訓練が続く中、師匠家族と共にQalandar Ursに通い、
Lahoot、Noorani Noorを体感し、師匠達でさえ、あまり好まないコアなスーフィー達との
時間を過ごすが故の紆余曲折を経て、ようやく日本で練習するための自分達のDholを
持つ許しを得て実際に手にしたのは2007年の暮れだった。


ジャパニ・バイ・ドール・ワーラーの二人がどのようなプロセスを経て、
Dholを演奏するようになったのか、細かい話は知らないが、私達がDholに驚愕し、
肚を決めて弟子入りし、無我夢中に数年を過ごし詰め込んだもの、
パキスタン・スーフィーの現場で見た様々な光景にある祈り、音楽、Dholを追いかけ、
そして今もDholを訓練しているというプロセス。まったくもって違うプロセス。
そのプロセスの違いによる思考の違いを理解してもらうことは難しいだろうか?
ましてや演奏するDhol自体も違えば、演奏そのもの、ビートそのものも違う。

しかしながらDholという楽器の「音色」だけで、
私も妻もジャパニ・バイ・ドール・ワーラーの二人を今後も応援したいと
想えるのもまた確かだ。色々な所で様々な形で応援の一つが届けば幸いである。










Lal Shabaz Qalandar 聖者廟近くの路上演奏。
このような演奏、演奏における聖者への祈りを表せないようなら、
パキスタンでは「何となく人前」で演奏することなどできない。
聖者廟にある音楽には必ず「祈り」が内包されているから。

いや、すべての「音楽」には様々な「祈り」・「想い」を成就するための
精神が宿っているはずだから。
人前で演奏するということは「何となく」では駄目だ。
「本気」でなければ駄目なのだ。
それが演者としての存在そのものであり、表現そのものだから。

それは私達が師匠から学んだ大切なものの一つだ。












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