2014/09/11

rabiya neen #42 ~デング熱というきっかけ~




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デング熱の感染者が100人を超えたというニュースを見た。
私も以前、デング熱に感染したことがある。

1998年のことだ。カンボジアにも近いタイのチャン島での感染、
その後バンコクに戻ってから発症した。
私の場合は血小板が極端に減少するデング出血熱だった。
高熱が続き体中に痛みがあった。その痛む箇所を力強く握るとほんの数分で
すぐに赤黒い痣になった。毛細血管がすぐに破れてしまう。
入院初日、私は自分で自分の痛む体を掴んでしまわぬように
ベッドに両手両足に枷をはめられた。

特効薬もワクチンもなく、絶対安静で数種類の液体を点滴で
体内に流し込むしかなかった。
時間を何とか味方につけて過ごすしか術がなかった。
でもその個人病室には私一人ではなかった。
3年ぶりに再会することになった旅先にて出逢った友人二人が
付きっ切りで看病していてくれたのだ。
朦朧とした意識の中で彼女たち二人の声がとても優しく安らかに感じられた。

数カ月前に彼女たちと連絡を取り、私はバンコクでの定宿を教えていた。
私は彼女たちがミャンマーからバンコクに来る頃に合わせて、
チャン島からバンコクに戻ってきたのだ。
その時のチャン島では世界中で遊び倒し、何かしらの活動をしていた年老いた
ヒッピー達と羽目を外し毎晩のように無茶なパーティに明け暮れていたから
私はいつも砂浜で腰巻き一枚で寝ていたが、それが感染の経緯だ。

意識が落ち着き、体の痛みにも慣れるのに1週間かかった。
旅行保険を適用した入院なのだから、金銭的なことを考える必要もないし、
今は退院を許すことはできない、血小板の数値が異常だから何かあったら
ショックで死ぬよ、などと医師は言ったが、どうせ安静にするしかないのなら、
タイ北部の好きな村で過ごすと無理を言って退院した。

自分自身、何もしなくても寛げる好きな場所で静養したかったし、
付きっ切りで看病してくれた彼女たちにもその場所を経験してもらいたかった。
そしてバスに揺られ私達3人は黄金の三角地帯へ向かい数週間を過ごした。

そこで私はrabiyaに交際を求めたのだ。
1ヶ月後、私は予定通りにデリーへ飛び、rabiyaは帰国。
そして更に4ヶ月後に私とrabiyaは再びゴールデン・トライアングルで落ちあい、
私はrabiyaに「結婚しよう」と呟いた。

バンコクの病院で朦朧としていた時に聞こえていたのはrabiyaの笑い声だった。
でも後で訊いてみると、病院に付き添ってくれた時に即入院が決まった私に
付き添いで病室に泊まることが無料でできると聞き、更にその部屋がTV付き、
お湯シャワー、置かれていたメニューが日本食付き、スクンビットにも近く、
大喜びで看病とはいいながら時間を満喫していたという。

やれやれ、なかなか逞しい。
彼女たちの満喫具合を朦朧としながらも聞いていたことが
その時の私をポジティブにしたのは事実だし、嬉しかったのも事実だった。









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