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2021/11/12

Ustad Pappu Sain

 





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2016年の師匠との再会が最後となってしまった。
2021年11月7日 師匠パプーサイン・ジィは天に召された。

偉大なDhol奏者だった。
いつもいつもビートを想い、奏法を創造していた。

その姿は多くの者の脳裏に刻まれている。
そしてそのビートは師匠の息子たちに受け継がれてゆく。


師匠の弟子として
師匠のDholで
Baba Shah Jamalで
我を忘れ踊ったことを
私は誇りに思う


師匠、安らかに。

Mast Qalandar 
Jhoole Lal















2021/04/26

レジェンド

 




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Gunga Sainが亡くなった。
私達をSufiの世界に導いてくれた人だ。

先天的な原因で聴力を失いながらも演奏できたのは
音を振動で捉えていた天才だからだ。

私にとってGunga Sainはまるで天使のような存在だった。
あなたに出会い共に時間を過ごせたことを誇りに想う。

どうか安らかに。














2018/01/22

プロセス







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聖者廟で踊る時
目を寄せて遠近感や焦点を放棄したまま
忘我へのプロセスを往く人もいる。

聖者廟で踊る時
感覚以外を放棄したまま
フラッシュバックの中で
忘我へのプロセスを往く人もいる。

プロセスはそれぞれでいい。
目的は忘我へ往くことだ。
「無」への同化。
「意識」への異化。


Mast Qalandar
Jhoore Lal!!

Jhoore Lal
Qalandar Mast!!!












2017/12/31

Oasisにて







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巡礼路にて。
Baba jiのドレッドに巻かれてOasisでの水浴び。


今年一年、多くの方々にお世話になりました。
ありがとうございました。
来年は弟子としてヒトとして今年以上に精進します。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
















2017/10/23

Glance







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新しい場所を探し求める楽しさの一つは
「悩む」ということだ














2017/10/16

core







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普通じゃないヒト
普通じゃない時間
普通じゃない世界

普通とは何か

いつでもどこにでもあるような
ほかと比べて特に変わらないような
時空間と何よりも怖いのは馴れ
馴れてしまうことは怖い

旅人として人生を過ごすなら
普通である必要はない
馴れてしまう前にシフトすればいい











2017/02/20

Determination






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私もダマールを続けていきたい


Jhure Lal
Qalandar Mast
















2017/01/30

一心







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我を忘れ
踊れ
踊れないヒトは
我を忘れ
唱えよ

一心不乱に
踊れ

一心不乱に
唱えよ



Jhoole Lal
Qalandar mast










2016/12/27

Goodbye Day






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師匠とおかんと一番の兄弟子と
子供たち

子供たち四人のうち三人は
赤ん坊の頃に抱っこしたことがある
大きくいい子に育っていたよ

私とRabiyaは弟子として育っていたのだろうか?

Goodbye Day.......そんな風に
ただ時間をすり抜けてただけのような気がしてね









2016/11/19

Time goes around






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師匠へ挨拶する前に立ち寄った
Madho Lal Hussain廟は大きく様変わりしていた。
新しくモスクも建設され、今もまだ廟内は工事中だ。
門から廟へ続く路の多くの木が伐採されていた。

あの妖しげな雰囲気は今はもうない。
しかし新しく整備されても
やがて時を経てまた妖しくなるのだろう。












2016/11/07

路の途中 2016





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2016 Pakistan, Pattoki, Baba Abbasにて。

13年前、初めてQalandar URSのために
Sehwan Sharif へ出掛けた時もこの地 Pattokiからだった。
当時の祭りチームとバスで同行した。
祭りチームのそれぞれにはそれぞれの役割があって
この方はチームの食事とPattokiのデラに訪れる人達へのランガルの責任者で
私は彼のことを当時、料理長と呼んでいた。
普段もこの方は世俗を捨てたまま聖者廟 Baba Abbasで暮らし、
すべての食を一任されている。










2016/11/05

路の途中 2016





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2016 Pakistan, Pattoki, Baba Abbasにて。

8年前、この方とは死にそうになるような
過酷な砂漠の巡礼の路を行く中で
疲れて言葉も出ない中、言葉とは違うもので
互いを励ましあった。

再会した時も言葉は要らなかった。
見つめ合うことで多くを交換できたからだ。






2016/10/23

弟 妹へ






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夢見た世界は
想いもよらぬ場所で
君の心のその片隅で
きっと咲いている

夢は花のように
咲き乱れては
散りゆく

でも大丈夫
心は枯れやしない

夢は花のように
散りゆきてまた
やがて咲き乱れる

おわりははじまり
はじまりはおわり

そして巡る
おわりははじまり
巡る君は旅人

だから
心は枯れやしない








2016/10/19

Dhamaal #2






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Pakistan Pattoki, Baba Abbasにて。

他の多くの聖者廟のURSはイスラーム歴により
開催が決定されているが、Baba Abbasはそうではない。
毎年、必ず同じ日付に開催されるのだ。

だから私達は急なスケジュールを組むことができた。










2016/10/09

Dhamaal





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Pakistan, Pattoki, Dargar Baba Abbasにて。

この方ともこれまでに様々な聖者の命日祭でお会いしている。
今回もよく来たな、と声を掛けられ、デーラでお世話になった。
いつまでも御元気でいてほしい。










2016/09/30

Wazir Khan Mosqueにて [Photo by iPhone***my favorite #107]





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パキスタン・ラホールに到着したのは夜中だった。
停電でファンが回っていなくても気にならなかったのに、
朝になるとガラッと変わりとても暑い一日となった。
祭りで使い捨てにするシャルワールカミースを買いに
ランダバザールへ出掛けようとするも、
イムランハーン登場の抗議集会のために
モールロードに繋がる多くの道が大型トレーラーにより塞がれていて、
リクシャーは逃げ場を失った昆虫のように同じ場所を何度も行き来し、
結局は熱気と喧騒の中を埃まみれになって歩かなければならず、
身体中がベトベトになった。

そのベトベト感を懐かしく想いながら
ワジールハーンモスクで一時を過ごす。

パキスタンは暑い暑い夏の地球だった。











2016/09/27

聖者廟あるある #1 [Photo by iPhone***my favorite #106]






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Bibi Pak Daman 廟にて.

伝承の図がこの写真にある。
父親から娘に。

その昔、この父親は母に連れてこられた。
そうやって、願いや祈りの場所は受け継がれる。

娘の視線の先では女たちが、
いや、もしかしたら娘の母親も自身を預け、
唄いながら胸元を激しく手で打ちつけていたかもしれない。

そして最終的には
Jhoore Lal Qalandar Mast.












2016/09/26

Baba Abbasにて






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パキスタンはラホールより80Km離れた街、
パトーキで開催されたBaba Abbas聖者廟の祭りにて。

私達が初めてパキスタンにおけるSufiの祭りに参加したのは
13年前、ここBaba Abbasだった。











2016/09/13

8年ぶりの小さな一歩 [Photo by iPhone***my favorite #105]





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8年ぶりに開けた蓋
勢いよく中に吸い込まれた

そこに暑い夏の地球はあった

蓋を閉じてもほんの少しは
前に進んでいると想っていたが
蓋を開けて実感したのは
前に進んではいなかったことだ

8年ぶりに開けた蓋
また一歩 踏み出した